参照ノート


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(地球語を仕組むに当たって考えたこと、過去の伝達手段から参考にした内容などを抜き出しています)

身振り語・手話 結縄(論理的思考の源) 表意文字 表音文字

伝達のルーツ

言語は思考の仕方を決める

私は、98年前半の時点で百何十ウェブページかに渡る「地球語サイト」を一人で立ち上げてきましたが、独りで「創作」したという感じはあまりないのです。最初に思いついたときから既に存在する確かなもののようで、私はただ目を凝らしてそれを見、解きほぐして写生してきたような気がしています。だから「地球語」は・・・を目指しているなどと、つい地球語を主語に、あたかも言語が自分で方針を持っているような書き方をしています。

これを英語版の下書きでもやってしまうと、必ず直されます。英語では、ものが自分でできあがったり進んだりしません。英語は、人が中心の言語です。「もの」は(擬人化されていない限り)作られ進められると、受け身形で表現されます。また文章には常に主語を要します。法廷での論争などでは英語は筋道を明らかにして力強いのですが、窮屈に感じるのは私だけでしょうか?

地球語に限らず、絵など「作品」と呼ばれるものに向かうときも、私は「創る」というより、自然の中に既にある存在をある角度から掬い取る、あるいは自然のゆらぎとともにゆれてみる感覚で手がけます。この態度は、人と自然を対立させないで、人も自然の一部とみなす東洋の伝統のせいでもあり、相手の立場から表現しやすい日本語でものを考えるせいでもあるのでしょう。自然にもものにも魂があり、その立場に成り代わって感じ考える習慣はすばらしいと私は思います。将来の人と自然の共存を支えていくには、この思想を踏みにじってはならないと思います。英語しか知らない人は、英語社会のデモクラシーが地球上のデモクラシーだと単純に信じ、以外の立場にはなかなか立てません。英語の仕組みが個人主義のヒト社会向けに成り立っているからです。 ヒトが用いる言語ですから当然ヒトの認識要素が基準でなければなりませんが、地球語で表現する場合には、いろんな立場に立ってイメージしやすいよう、柔軟な構造にしました。

身振り語、手話

ことばの通じない相手との意志疎通体験や、テレビで観るゴリラ社会の様子などから、原始では、身振りのほうが音声よりも多くの内容を伝達できたと想像されます。 身振りでは、声を出すよりもエネルギーをより多く消費し、話し手の姿が見える状態でなければ伝えられません。そこで一般的には、ことばの発達と共に次第に身振りを言語としては用い なくなったといわれています。しかし、
1、音声が拒否されている社会
2、儀礼、慣習の世界
3、演技の世界
4、ことばの通じない社会間
では、身振り文化が後世まで生きています。それぞれにことばとは また別の伝達効果があるからだと思います。

1.音声を使わない伝達手段として

約千年前、服従、清貧、貞潔を旨とするベネディクト会の修道士たちは沈黙の修行中に意志伝 達の必要が起きたとき、身振りのコードを作って連絡しはじめました。動作や形を写し、表情 を強調した共通理解しやすい身振りを基本に、便宜的な手の記号を加えた「身振り語」です。 ・・・ジョルジュジャン「記号の歴史」

彼らは言葉で考えることができましたが、生まれつき耳の聞こえない者には音のことばがなく、 見た体験から学び、本性的に表情や身体を動かして意志を伝えるしかありませんでした。 16 世紀以降聞こえない人のために表意サインやアルファベットの手話記号を作って教育することが西欧で始まりました。聾唖者に共通する伝統的、写像的な身振りが手の位置、形、動きのコードに 整理されて使用されました。けれども語彙が増えた時代では、それだけでは間に合いません。抽象的 な内容や数字、文字に対応するサインが、各国でばらばらに造られて与えられました。そこで、 イギリスとアメリカの間でさえ手話では大違いです。

聾唖者には、まず話題に直接 関係のある内容を示した後、次第に説明を加えるのが伝わりやすい語順です。けれども現代 では、助詞や前置詞などのサインを補って、各国語の語順で、言葉のように手話を使うことが 進められる傾向にあります。また、話し手の唇を読んで話しの内容を推察する術が奨励されています。・・・田上隆司他「手話のすすめ」

つまり、より高度な内容の伝達を可能にするため、聾唖者に発達する全身を使った表 現には蓋をして、無理に地域の一般的な言語のシステムを押し付けている傾向にあるといえま す。それで彼らが一般人と対話できるかというと、同じ手話を学んだ人にしか伝えることがで きません。一方的に彼らのほうが一般人にハンディーを乗り越えて近づくことを強いる、不平 等なコミュニケーションの構造が底辺にあります。

聾唖者は、音の世界を閉ざされているために、本性から出る全身表現が自然に備わります。本 性を制御することに慣れ、自然のままに身体に動きが伝わる感覚を失ってしまった一般の現代 文明人のほうが彼らから学ぶこともできるのではないでしょうか。本性的写像的な表現は、た とえば「歩く」を示すのに、両手を足に見立てて互い違いに動かす、2本指を両脚に見立てて 互い違いに動かす、などの具体的な違いはあっても、国際的に通じます。動かすリズムやくね りを加えることで、ことばでは言い尽くせない歩きかたの表情まで示すことができます。

こん な身振りが「地球語手話文字」と互いに補い合いながら、一般人の国際会話に活用されれば、 少ない記憶でしかも楽しい会話ができます。日常的にもことばに併用し、ことばを強化して、 会話を生き生きさせることでしょう。現在、共通性の高い写像的な表現を集めて、千数百語か らなる国際手話が準備されていますが、それだけでは通じない内容が多く、また地域手話とは 違うため、活かされる場合が少ないと聞きます。手話が国際化するには、聾唖者だけではない、 すべての人々にとってのメリットが手話使用によってもたらされねばならないのです。一般人 が日常的に手話・身振りを使い、理解するようになれば、耳の聞こえない者と一般人の伝達関 係は自動的に対等に近づきます。

2.儀礼、慣習の中の身振り

祈りの姿勢は、両手の平をあわす、指を組む、ひざまずく、平伏、五体投地など各地各様です。 しかしどれも共通に、祈りの対象に敬意を払い、服従し、精神を集中させる姿勢です。対象が 絶対的な存在か、自分自身の内にも存在するのか、天上にあるかなどの宗教的なイメージの違 いによって差ができています。文字を持たず、理論を説く伝統も持たないアフリカの宗教では、 儀礼的な身振りの象徴体系を発達させています。手で触れた身体の部分をコード化し、身体中 の関節に意味付けたり、全身の身振りで表現するなどして宗教的なメッセージを伝え、安心や 祝福を与えたり、呪術の手段としています。

このような方法では、象徴的にエネルギーが操られ、ことばを越え、合理性を越えた魔力を発 揮させます。ヒトは本性として、生死を超えた価値を求め、生き抜く力を自分を超えたところ に求める宗教的な面を持ちます。が、自然環境・社会環境によって、宗教的境地の表現の仕方 が違ってきました。常に死の世界と隣接する砂漠地帯では、絶対的な神に一筋にすがるのが今 後も自然でしょうし、動植物の生命に囲まれているモンスーン地帯では、互いの命に自然の原 理を見、自らの内にも神を見ようとし、精神内部に向かう姿勢で祈ろうとします。生まれて以 来、周囲の自然と社会によって刷り込まれた儀礼的身振りや唱えごとは、くり返し見たり行う 間に、それによって条件反射的に宗教的な境地を呼び寄せ、理屈では起こせない働きをするよ うになります。

著者は特に宗教的な人間ではありませんが、日本に住んだ45年間に、習慣として毎年初詣を していました。アメリカに移住してからは神社が無いので、太平洋に初詣しようと思い立ちま した。ちょうどアフリカ系ブラジリアンの海の女神イマヤに初詣する友人があり、他の友人も 誘って年中行事になりました。最初の2、3年は郷に入れば何とやら、海に供え物を投げ込む や後振り向かずに一目散に逃げかえるというイマヤの儀礼に付き合いました。ところが、著者 には神社の有無は問題でなくても、合掌し柏手を打たないと詣でた気分にならず、元日ならで はのインスピレーションも湧かないことを感じさせられました。元日という特定の時に合掌し 柏手を打つ行為(身振り)が、ある状態の脳と結び付くような仕組みが、私にプログラムされ てしまっていたことにはじめて気付いたのでした。そこで私一人自分のやり方に変更しました が、現代カリフォルニアの友人たちは誰も文句をいいませんでした。しかし歴史上では、ほと んどの地域で自分の伝統以外の儀礼は野蛮な悪魔の手段とみなされ、互いに衝突して戦争の原 因となりました。

人権を認めるとは、人の生まれついた個性を認めるだけではありません。生後に環境的、社会 的に、心の深い部分に作用する伝統によってプログラムされた個性や伝統のことばをも互いに 尊重し、存在を認め合うことだと思います。なぜなら、幼いころから身体に刷り込まれた記憶 は、合理性を越えてその人のものになりきっているからです。後にたとえ自分の理性で変更の 決意をしたとしても、条件が備わると勝手に飛び出してきてしまうからです。「力」によって 儀礼的な習慣を断たれると、生き抜く心の拠り所をつぶされることになります。

共通語は、異なる文化を越えて通じ合うための手段であって、押し付けて人権を踏みにじる道 具になってはなりません。「地球語・手話文字」は、中立の客観言語として、特定の文化を引 きずる身振り語とは切り離して機能させるべきです。言語を超えた力を持つ、民族固有の心の 伝統文化とその中で生きる個人の人権を、互いに護るためにそれは大切なことです。

私たちの日常習慣化している身振りに、肯定、否定、禁止、招き、侮蔑などの意味を伝え るサインがあります。それらは習慣的に伝わっているだけで、記録されていないので歴史 が不明ですし、同じ言語を話す者同士でも共通とは限りません。たとえば日本やアジアで「手招き」を意味する、顔の前方で指をそろえた手を上下する仕草は、欧米では反対の意味の「さ よなら」の合図です。香港、フィリピンなど欧米の影響の大きいアジアでは、人によってどち らを意味するのかまちまちです。

本性的な行為と感じられそうな、かわいいから思わず子供の 頭を撫でる仕草も、タイなどでは大変な侮辱を意味します。タイの仏像に見られるように、頭頂からは見えない炎がのぼり天とつながっているので、頭頂部は触れてはいけない神聖な部分と信じられてきたからです。東アフリカのヌアー族では、祝 福のために子供につばを吐きかけます。

『世界20カ国ノンバーバル事典』 金山宣夫著...研究社出版 1991
サンフランシスコ「タイ・アユタヤ展」

ことばでは、昔は「祝福された、純真無垢な」を意味 した英語の silly が、今では「愚かな」の意味に変わり、元は敬意を表す代名詞だった日本語 の「貴様」や「お前」が見下げる言い回しに逆転しました。同じように身振りが示す意味も、 自然状態では変化するのです。だから簡単な身振りや手話でも、共通語として 使用するにはルールがいりそうです。

ことばが通じる間でも、見えている相手に声以外で連絡したい場合があります。騒音の中や相 手が遠い場合、第三者に知らせずこちらを見ている特定の相手だけに伝えたい場合、食事中な どですぐしゃべれない場合、声よりも強力に相手を引き込みたい場合などです。小学校などで、 人差し指を閉じた唇に当てれば「静かに」の合図、その指でこめかみを指せば「自分でしっか り考えよ」の合図などと、先生と生徒の間にサインを作って使っている例では、大声でおしゃ べりを静め、集中させようとするよりもかえって効果的です。

互いの了解の下に用いる身振り や手話は、日常的にもこのように便利です。それが職場や施設毎に別々に取り決められて使わ れるのではなく、世界共通の約束の下に使えるようになると、伝達相手がひろがり、表現が多 様化して、状況によって適切な伝達手段を選ぶことが可能になります。手話文字の基本形に当 てる意味を秘密裏に変更すると、暗号にも容易に転用できます。活用の仕方は自由ですが、基 準の文字に照らした基本的な約束だけは忘れずに守らなければ、共通手話は効力を失います。 人為的システムの「地球語」では、自然に発達した伝達手段に起きる問題点を意識し、ルール を守ることを怠ってはならないでしょう。

3.演技における身振り語

観衆を前にする演技は、自然のままに発する身振りよりも「強調」されます。その演技が職業 化、伝統化し、器楽音楽を伴ったりして、身振りで内容や感情を伝える技が様式化しました。

なかでも最も完全な言語体系を演技の中で構成したのは、インドの舞踊「カターカリー」です。 古代の聖典ヴェーダには、宇宙の構成要素とその活動の様子を反映させた祭祀やそこで使われ る身振りが記録されています。またインドは社会階級制度がはっきりしていて、身振りでさま ざまな違いを捉えようとする背景があり、身振り語を使う永い歴史がカターカリーを育みまし た。カターカリーの踊り手は、顔の筋肉を独立して動かす訓練を積んでいて、9種の基本的な 感情を、動かす顔の筋肉の組み合わせの違いで表現します。また、24の基本的な手の形も決 まっています。それらと、約束に基づく手の動き、身体全体で象る身振り、心情に伴う動きを 強調した身振り、そして顔の表情をすべて総合して、観客が壮大なドラマの舞台上で何が語ら れているのかを一部始終読み取れるように仕組まれています。視覚的な記号が統合的に捉えや すい性質が活用され、いくつものコードの同時的な統合理解が可能なことを証明しています。

『記号の歴史』 ジョルジュ・ジャン著矢島文夫監修...「知の再発見」双書39 創元社 1994

「地球語・手話文字」は、意識的に内容を伝えます。感情によって自然に起きる表情や動きは、 「言語」とは別とします。表情にまで法則性を与えると演技と本心の区別が難しくなり、表現 する側にもそれを読む側にも混乱を来すからです。ですが、手の形や位置や動きにルールを与 え、両手を使えば一時にいくつもの要素を示すことのできる仕組みのヒントをインドの舞踊は 教えてくれています。共通の手話文字が一般化すれば、インド人の舞踊ファンがカターカリー を楽しむように、オペラやバレーなどの国際的な舞台も、通訳なしに意味を読める方法で演じ ることができそうです。身体中の筋肉の動きを分析し、心とのつながりの研究の上で振り付け られたカターカリーは、未来の無言劇や様々な新しいパフォーマンスの参考となりつづけるで しょう。

4.共通語として優れた身振り語・手話

コロンブスが上陸して以来、北米大陸に渡った白人のフロンティア達が書き残している記事に よると、南、北、西、どちらに行った者も口々に、原住民のことばや暮らしが多様にもかかわ らず、同じ身振り語で通じ、直ちに交易できたことに驚いています。海辺、平原、砂漠、高原、 森林と、多様な自然環境を持つ大陸に、1万数千年の間のいろんな時期に移動し、住み分けて きた原住民は、西欧からの移民幕明けの時代には、千以上もの異言語を使っていたといいます。 暮しぶりも食べ物もさまざまでした。しかし、海と山の部族が交易したり婚姻関係を結ぶこと はあり、意志の伝達は必要でした。しかし彼らは、一方が他方にことばを強制するやり方を望 みませんでした。なぜなら、古代の日本と同様に言霊の力を恐れ、伝統的なことばに敬意を持 つ習慣があったからです。昔から今まで、ことばが通じない場合に何とか伝えようとするとき、 図を描くか、身振りで訴えるのはどの人種にも自然な作用です。

『Indian Sign Language』 William Tomkins 著...Dover Publications, Inc. 1969

方向、動き、形、心に受ける感じを示すことのできる身振りは、図と並んで元来共通に理解し やすいですし、身振りは描くための画面や道具を必要としません。暮らしの基盤のいかにかか わらず、自然の中で、自然の霊を尊び、自然に生きてきた彼らが、言語の異なる部族との伝達 に身振りを発展させて用いたのは自然な流れです。全身の身振りからエネルギーを省略して手 で示すコードに移し、交易などにかかわる抽象的な内容を表すサインも加えて手話が造られ、 長い間に北米のほとんどの地域に共通語として定着したと思われます。

伝説では、手話は南から伝わったともいわれています。メキシコ・チュルラのピラミッド工事 がことばの壁のために混乱を来したとの伝えもあります。古代メキシコの都市建設に各地から 集まった人々が、伝達に困って、身振り語・手話の発展的整理を進めたのかもしれません。初 期の白人フロンティアは彼らのこの身振り語文化に感動していたにもかかわらず、残念なこと に、後の政府は原住民を力によって征服し、宗教と英語(中南米ではスペイン語やポルトガル 語)を押し付けました。そのため、それまで祖先からの伝統に連なる自由を互いに認め合う調 和世界を支えた、人類史上貴重な共通語が消されました。

『ベルリッツの世界言葉百科』 チャールズ・ベルリッツ著中村保男訳...新潮選書 1990

現在ボーイスカウトなどで遊び的にわずかに復活されている、北米原住民の手話を見ると、手話と彼らの絵文字の共通性も感じられます。たとえば、「進む、歩く」を示すのに、両手を足に見立てて歩くように動かしますが、絵文字の中での移動も、足の跡形を一定方向に進行させ て示します。また「ことば」を表すのには、どちらにおいても口から外に出ていく形で示しま す。絵の手法は時代や場所によっていろいろでも、捉えかたは、このように全域で共通してい る場合があります。手話と共通する絵の古さから、アメリカ原住民の共通手話の歴史も古いだ ろうと推察できます。視覚的な記号の間では異なったメディアでも共通化しやすい性質を、彼 らが既に応用していたことも窺い知れます。次の項目で述べる「結縄」との共通性もあったか もしれません。常に7代先の子孫の平和を考慮して計画、行動するよう伝えつづけた彼らの知 恵は、世代を越え、メディアを越えて伝える共通感覚を自然のうちに大切に育んでいたのに違 いありません。

彼らの共通語は、西洋の世界語のラテン語やインド地方のサンスクリットのように特別限られ たクラスの人々だけが使えたのではありません。誰にも開かれ、誰でも容易に使ったとおもわ れます。自然の身振りから発達した手話は、異世界から渡来した西洋人にさえ理解しやすく、 おぼえやすかったのですから。内容の図像性や方向性、動きなどを、形や手話の表現力に結び 付けると共通に伝えやすいことを、彼らの歴史が証明してくれています。

しかし、たとえ彼らの手話が完全に今日まで伝わっていたとしても、そのままで人類の将来の 共通語の手段にするのは無理です。19世紀以降に分析された内容に対応できる複雑な仕組み が無いからです。しかし、彼らの文化の中には、これからの私たちが学ばねばならないことが 詰まっています。§2でもう一度触れたいと思います。

結縄(論理的思考の源)

前にも述べたように、ことばは音声表現の中だけで発達できたのではなく、聴覚と視覚の両手 段が互いに助け、2本脚のように支え合って進んできたと著者は考えています。まず、動きや 方向を示す身振りが、歩く、走る、ここ、そこなどのことばの区別を産むのを促しました。こ とばで見えるものごとを区別する習慣を持った人類は、次には、見えない事柄も区別するため の最初の記録手段として視覚記号の「結縄」を登場させました。そして、これによって論理的 な思考能力を飛躍的に伸ばし、ことばの数を増やしたと考えられます。

「結縄」とは、縄の結び目の数、位置、結びかた、色などをコードとして、それらのコードを つないでメッセージを伝える手段のことで、世界の至る所で永く使用されました。石はサルで も道具に使います。蔓や繊維をより合わせた縄は、人類の最初の道具であり、衣食住を支える 材料でした。道具を造るにも、ものを運ぶにも、あらゆる仕事が縄で「結び付ける」作業抜き ではできない時代のヒトにとって、イメージさえも縄で結ぼうとするのは自然なことです。お そらく私たちが想像するよりもはるかな昔から結縄は存在したに違いありません。老子は、中 国の古代文明を開いた結縄の役割の大きさを忘れてはならないと述べていますし、ペルシャ王 ダリウス(BC6~5世紀)は、イオニア人のために60の結び目を持つ帯でできた暦を作ら せたとヘロドトスの歴史書にあります。

暦は、急に生まれるものではありません。地上の季節のめぐり、天の動きを観察、認識するこ とを何百、何千回も世代を通してくり返す中から、総合的なリズム・法則性を把握してはじめ て「暦」は誕生できます。太陽の移動や月の満ち欠けに定まったリズムがあると感じた太古の 人類が、いつどこでどの食べ物を得られるか、生き延びる工夫として、蔓や縄に毎日結び目を 作って日数を記録しはじめたに違いありません。新月や満月、冬至や夏至、動植物の狩りや収 穫のシーズン毎に、それぞれ別の目印の縄を加え結び、シーズンを把握しようとしたのが結縄 の始まりではなかったでしょうか。数を数えるためのことばはなくても、結び目の量で日数は イメージできます。数量を計算したり、ものごとの関係を脳の外の他のものに置き換えて視覚 的に示してイメージを測ることは、結縄によってはじめて可能になりました。

縄目の記録では永くは残りません。縄に溜めた記録の集約的な内容は、岩を並べたり、岩に線 を刻んだりする別の恒久的なコードで記録しなおされたでしょう。アイルランドの上代には、 美しい結び模様が発達しましたが、オーガム文字と呼ばれる独特の文字も残しています。この 文字は、長い1直線上に角度や数や形を変えた別の短い線が交差したり、接したりする構造を 持ち、結縄の構造を幾何学的な線に置き換えただけのように見えます。ルーネ文字など、他に も世界各地にこれに似た古代文字または模様のようなものが見つかっています。

結縄は、ルールを変えて、基本コードに基準音声を当てると、音声を伝えることもできます。 そこでことばが発達してからは、表音記号の役もしました。文字の源は、絵文字だけではあり ません。結縄の仕組みを岩に記録した習慣からも文字や文法が出発したはずです。中国の十干 十二支を組み合わす暦や、マヤの260日暦と365日暦の一組で時を捉える考え方、正確な 年月の把握は、永い期間天体と地上の周期の規則性を探って、いろんな意味の周期で記録した 結縄なしには有り得なかった発想です。マヤ文字は、人や動物の頭の形の絵文字と、抽象的な 文字とから成りますが、抽象文字のほうは、縄の結び目の形や多数結び付けたひもを抽象化し たように見えます。インカ文化に文字は無かったといわれますが、キープと呼ばれる結縄の記 録手段で思考の蓄積と計算ができたからこそ、あれだけ精巧な建造物を造り、それを築く社会 を構成できたのではないでしょうか。

アフリカ大西洋岸の結縄アロコや北米原住民のワンプムは、ひもを結ぶだけでなく、貝殻も利 用しています。たとえばワンプムは、横糸に規則的配列で縦糸をつなぎ、これに着色した貝殻 を通したものです。貝殻は、黒と紫の組み合わせなら危険や敵を、赤は戦い、白は平和などと 表意機能を持ち、並べた順にメッセージを伝える仕組みでした。沖縄では、わら算と呼んで、 百年前までは文盲達がこれで計算をしました。日本の紀元前数千年の縄文土器には、縄文の名 の通り縄目や結び目を回転させた模様が施されていますが、この縄文には、私達の想像以上に 高度なメッセージが託されていたのかもしれません。

結縄は、身振り語や絵と同じく視覚的な伝達手段ですが、表情、形、動きなど身振りや絵のよ うな共通理解のできる要素を持ちません。そのため古い結縄がたとえ見つかっても、その伝統 が細々でも伝わっていない限り、時を隔ててメッセージの内容を知るのは大変難しいことです。 記号の内容が完全に抽象的、恣意的な約束によって決められているので、結びかたや貝の色が 何を意味するのか、その約束ごとが解明できなければ読めません。単純な結びかたなら基礎的 な内容、込み入った結び方では、複雑、高級、豪華などのイメージ、貝では、明るさや色彩の 持つ心理作用につながるイメージというように意味付けを考慮して約束されていれば、共通に 記憶を少し助けられるかもしれない程度です。

しかし約束ごとさえ知れば、結縄は別の優れた要素を備えています。数量、位置、結び付 く関係などが視覚的に共通の感覚で分かりやすく捉えられるため、思考を頭から取り出して目 で確かめるのにいいのです。この特徴と、表現内容の取り決めが恣意的である という特徴が組み合わさった結縄は、わずかな記号数でイメージを合理的に整理するため の根本原理に通じています。将来の伝達手段でも重要となる要素が、原始時代から既に暗 示されていたのです。

コードが任意に決められるということは、任意に表示内容を変更できるという長所にもなり得 ます。同じ記号を用いて、約束を別の内容に変更する印を加えると、表意システムにも表音シ ステムにも兼用できます。表意システムの中だけでも、基本記号の組み合わせを換えて内容を 変更できます。

たとえば5つの色の縄を基本コードとし、それだけでは各色を示すだけでも、結び目などの別 要素の記号を各縄に添加することで、全く違った階層の内容を表すようルール付けることがで きます。青色を方角を示す記号と組んだ場合には、東を表し、黄色では中央、青を季節の記号 と組めば春、黄では土用、青と自然要素の記号組み合わせでは木、黄とでは土、青と味では酸 味、青と五感では視、青と欲では財欲、青と家畜では犬を示すなどという具合に、宇宙構成要 素からヒトの心理にいたるまで、すべての内容を、限られた数の結縄のコードの組み合わせで 表現できます。このようにして文字発達以前の中国で造られた記録法が、陰陽五行説の基とな ったのではなかったでしょうか。整理分類した要素をつないでイメージを捉える考え方と、陰 と陽の二つが結ばれて命や世界が存在する考え方は、結んではじめて表現できる結縄の仕組み そのもののようです。自然や天界の要素、心情、神名などの間を関連付けるこのような習慣は、 世界各地で古代から伝わり、占いの世界などで今も使われています。

中国文字の基本単位の記号は、象形から単純化したもの、または抽象的な形で、表意、表音の 両役目を持ちます。そしてそれらは、部首として複数が一緒に組み合わされ、別の内容を表現 する文字の構成に用いられています。これら現在も使われている漢字の底辺にある記号倹約の ための工夫は、結縄の仕組みと基本的には変わりありません。結縄によって論理的な分析能力 が増し、語彙が増え、伝える内容が増えると、結縄では嵩張りすぎて扱いにくくなります。そ こで結縄の思考性と絵文字のわかりやすさを合体した、合理的な中国文字が立ち上がってきた のではないでしょうか。記号単位の形を、絵文字から単純化したおぼえやすい象形や抽象形と し、縦ひもにつなぐ替わりに配置によって結合して表記する手段に移行したと考えると、筋が 通ります。現在発見されている最古の中国文字にも、抽象的な内容を示す高度な思考性が見ら れるのは、既に結縄によって十分に思考能力が高まっていたからだと思います。結縄には、要 素をつないで未知の概念を捉え、記号倹約しながら次々に分析、造語していける基本的な構造 が備わっているのです。

限られた数の記号をつないで新たな内容を示す仕組みは、ことばにも反映しています。ギリシ ャ語やラテン語の基礎語をつなぎ変えて造語する方法も、漢字の熟語で造語する方法も、結縄 による思考整理の仕組みと原理的には同じです。

変わった伝達手段では、フランス革命の戦時に活躍した「シャッペ式遠距離信号機」がありま す。丘上の信号塔に、両先端に羽木を付けた腕木の中央を支える支柱を立てたものです。腕木 と2つの羽木の角度を変えた形をさまざまなコードとし、遠方から形を確認しては伝え継いで、 最終地点のみで暗号コードの読み取りをする仕組みです。発進、受信の両側に、必要な文や語 彙を集めたノートを準備し、その中のページや項目の番号を信号で知らせたり、コードを番号 ではなくアルファベットの表示にシステム変更して、込み入った内容でも通信できたといいま す。電気時代に入ったモールス信号では、電流の流れを中断させて、長短のリズムを作り、長 短の組み合わせの違いをアルファベットや補助記号を示すコードにしました。

現代では、地球の裏側を映像で見たり、遠方の相手と生の対話ができます。面倒な記号なども ういらないという見方もあります。そうでしょうか。映像は、通電の ON , OFF の2進法の 膨大な量の記号の集合です。そして記号は、他に伝えるためだけのものではありません。人類 は、これによって論理的な思考を展開してきたのです。情報は増える一方ですが、整理しなけ ればどんな情報も使えません。

「結縄」の底にあるのは、文字通り「結ぶ」考え方です。関連するものをつなぎ、 それを更につないで思考の流れを「見える」ように します。視覚とつながる脳は、分 析、統合を敏速に行うのを得意とします。現代人もグラフや組織図を使うと誰でも早く確かに 認識できるように、数量や関係が視覚で確かめやすいのは、人類の本性に通じます。また、さ まざまな分野のものごとも、その要素の説明または心理作用にかかわる色や形などのコードと 結び付け、系列を仕組むと、記憶を手繰ってイメージを取り出しやすくもなります。結縄は太 古から存在しましたが、要素に分けたり組んだりしてものごとを探り、組み合わせを視覚で捉 えるこの仕組みの延長は、人類の未来のどこまでも通じていると思います。地球自然に住む限 り、多様な階層性と、各部分がネットワーク的につながる構造から逃れ出ることができないか らです。「地球語」もまたその域の中にあり、人為的に抽出した要素を自在につなぎ替えて網 にしながら思考を捕らえ(捉え)ようとします。

表意文字

私達が内容を知ることのできる最初の記録は、どの文化でも絵や絵文字から始まっています。 そして祖先の体験の言い伝えが増え、記録の需要が増えると、絵文字は簡略化に向かいました。 地域の風土に適した記録用の素材が選ばれ、素材に適した字形ができました。

メソポタミア・シュメールの絵文字は、無尽蔵にある粘土を板にして、軟らかいうちに引っ掛 いて描かれていました。それがやがてより容易なように、草の茎の切り口を押し付けるパター ンを組み合わせた抽象的な楔形文字に改造されました。建造物などに刻まれていたエジプトの 象形文字は、ペンや筆でパピルスに記されるようになると、写像性から遠退いたヒエラティッ ク、草書で連字さえあるデモティックへと簡略化されました。僧侶か民衆か書き手によっても 文字のスタイルは変わりました。

そして固有名詞や抽象概念や時間関係などを記す必要から、 最初は表意文字だったのが、表音節文字へと向かいました。文字の意味を表すことばの音声が 1音節ならその音節を、多音節なら頭の音節のみを表し、元の意味のほうは無視されるように なりました。しかし文字の呼び名は、元の意味を伝えることばを引きずったままだったため、 時代を経ても変わらない基礎的なことばは、表意文字として使用され続けました。また、時代 とともに同音異義のことばが増えましたが、それらの区別のためにも表意文字が補助記号とし て使われました。やがて別の民族がエジプトの表音文字からアルファベットを発展させたため、 これらの文字は使われなくなりました。少数の文字でことばそのままが記せる便利さに圧倒さ れ、象形文字の持っていた共通伝達性は、捨て去られたのです。

古代から現代まで2千年もの歳月をことばの壁を越えて意味を伝えつづけている代表は、漢字 です。著者は、渡米したてで英語が通じなくて悩んでいたころ、千数百年前の中国人の「書」 の意味が、少なくとも横に添えられた英語の解説よりも分かったことに大きなショックを受け ました。それが「地球語」の案のひらめきをもたらしたのです。中国語しか話せない修理工に、 断水がいつまで続くか、アメリカ人がどう尋ねても聞き出せなかったとき、筆談と身振りでた ちまち通じた経験もあります。

古代日本が漢字を借用して以来、読む音声の方は中国で大きく 変化し、一方日本では中国語とは全く違う日本流に読み変えもして、ことばは全く通じません。 また文法も全く異なりますが、文字と「意味」の関係だけは、元のまま共通に変化していない ものがたくさんあるのです。子供のころから馴染んだ漢字からは、交通標識と同様に、間髪を 入れず直接内容のイメージが立ち上がります。アルファベットのように時間軸に沿ったことば に置き換えて受け取る手間がいりません。

中国語をまったくしゃべれない私が、中国語のメニ ューを見た途端に中華料理の内容が分かることに、アルファベットしか知らない知人達はみな 目を丸くします。漢字に慣れてしまっている私たちには何でもないことですが、アメリカ人は、 彼らがラテン語のメニューを見る場合を想像して比較し、驚くのです。表意文字には、内容を 文字から直に強く訴える、ことばとは別の価値があります。欧米人も I{ハート型)NY. のよ うな表意記号の使い方の体験から、このことに気付いているはずです。

・漢字

漢字の構造について概観してみましょう。紀元98年に後漢の許慎が撰述した最古の辞書『説 文解字』には、「六書」という、漢字構成の基となる、次のような6原則が記されています。

1. 指事(抽象概念を図形化する。「上」「下」など)

2. 象形(ものを象った形を単純化する。「人」「日」「川」など)

3. 会意(1,2の意味を組み合わせた概念を形の組み合わせで示す。象形の「戈」に、足形か ら象り前進を意味する「止」を合わせた「武」など)

4. 形声(1~3の文字の読みの音声を借りて音符とし、意味を示す文字と組み合わせて、そ の意味の内容を更に区別する文字を構成する。水の意味の三水に音符を加えて区別する「江」 「河」など)

5. 転注(文化に応じて変化したことばとともに意味を転じた文字)

6. 仮借(同音異義の内容に使う当て字)

紀元前1350年ころ、中国で亀甲や獣骨に「甲骨文」と呼ばれる文字で卜辞が刻まれました が、これにも既に、指事、象形、会意の基本的な仕組みで文字作りされています。これらは前 述したように、共通に理解しやすい形と、要素を結んで捉える仕組みの合わさったものです。 ことばの仕組みが全く異なる韓国人や日本人も漢字を使うことができ、2千年経っても同じ文 字がまだ機能するのは、主にこの3つの仕掛けによっています。結縄によって既に要素に分析 し、要素を結んで新しい概念を捉える文化を持っていた中国古代の神官は、その合理性をその まま表意文字の仕組みに移行したのだと思います。

ロシアをのぞくヨーロッパの2倍の面積を持つ中国大陸は、多民族多言語を抱えて衝突が絶え ず、山岳地や砂漠があって頻繁な交流も無理なため、ことばを統一して伝達するのは困難でし た。時代を越え、地域を越えて普遍的な秩序造りを理想とした彼らは、永く残る青銅器に「金 文」と呼ばれる文字を鋳込んで、神話や祖先の歴史を伝えようとしました。鋳物上では、甲骨 文よりも図象的で模様のような文字になりましたが、小さな面積に多くの内容を詰め込む合理 性では同じです。その後絹に毛筆で書かれるようになり、木簡、竹簡、さらには紙に書かれる ようになって、各材質に合うように形が整えられて漢字に至りました。現代の中国文も古来の 合理性を踏み、意味を受け取る順を決めて1語1字の表意文字を配置します。世界の文字の中 で最少数、最少面積でメッセージを伝達できます。

ことばと時間の壁を越えて少面積で伝えられるので、漢字が将来全世界の共通語になれるかと いうと、使用者でさえ誰もそうは思いません。それどころか本家の中国でラテン文字化が真剣 に考えられている始末です。文字数が多すぎて記憶に大変なエネルギーがいる、コンピュータ に適さないシステムというのがその理由です。そこでその問題点を解決すれば、全世界を支え る新たな文字造りはできるというのが著者の発想の出発でした。

無限に増えつづける概念を直接表す表意文字が少数であり得るはずがないと、頭から決め込む ことはありません。単位の記号はわずかしか使わなくても、組み合わせかたで工夫すれば、十 分な変化を造り得ることは自然の仕組みが証明しています。単位の文字が誰にも見分けやすく、 合成した文字が、指事、象形、会意の法則で共通に捉えやすいよう定義されるなら、記憶も助 けられます。伝達の原初からあった知恵は、未来のどこまでも共通伝達の基礎となるようです。 漢字には、普遍的な合理性と間に合わせの合理性が含まれ、後者が時や地域を隔てた使用者に 不都合を起こしています。六書の形声、転注、仮借の仕組みは、不変性を揺るがす要素につな がります。転注が起きるのは、基本となる象形などで安易に文字造りされた結果と考えられま す。

たとえば、「亜」という文字は、次のように意味を転じました。
原形は、陵墓玄室の平面図の象形→そこで行う儀礼を執行する聖職者を表す.....凶事執行は吉 事執行に一段劣ることから、「少し劣る」「相次ぐ」を表す.....そのことばの音韻が共通する ところから、「唖」(ア)、「悪」(アク)など、良くないイメージを表す(白川静著『字統』)

このような変化を産んだのは、特定の時代文化の産物を象形して文字の単位の形に使ったこと に起因します。中国古代の文字使用者にとっては、イメージしやすい陵墓玄室の形だったかも しれませんが、その文化にかかわらない者にとっては、無理に記憶を押し付けられる厄介な形 です。意味不明なので、音声の類似から各地で勝手な使用に走ってしまい、共通性をなくし、 誤解の元となりました。

基本となる文字の形は、特定文化の産物の象形からは選んではならない
と、漢字の歴史は教えてくれています。

中国語は元来単音節語のため、形声の仕組みは、ことばを区別して造語を進めるのに好都合で したが、異文化間では共通理解を困難にしました。表意文字にも呼び名は必要ですが、共通語 としての普遍性を高めるには、
表意・表音機能は区別して文字を使用すべき
と、漢字の歴史から私たちは学ぶことができます。文字の表音機能を表意目的に転じて表意文 字を構成する造字は、断り付きの特別な場合に限らねばならないでしょう。

六書の原則だけでは文字数の増加を防ぐ力が弱いと分かり、組み合わせて使う基本的な文字の 単位が、後に250~300ほどの部首に整理されました。多数ある漢字は、それらの単独ま たは複合した形でできています。だから字母数は300あればすべての文字をそれで構成でき るかというとそうはいきません。毛筆時代に考えられたので、同じ部首でも、単独の場合そし て組み合わす相手が違うたびに、文字全体のバランスの関係から大きさやプロポーションが変 わります。その結果、活字の数は合成された文字全ての数必要となり、機械で自動的に合成す ることはできません。

また部首を自由に組み合わせて勝手に使用する柔軟性もありません。ど の単位記号同士でも自由に組み合わすことが可能な仕組みであれば、ずっとわずかな単位記号 数でもはるかに多くの文字を構成できることは、冒頭の計算で示した通りです。現代中国では、 複雑すぎる漢字の書く手間を省くために、文字を簡略して「簡体字」としています。字画が減 って見やすく、書きやすくはなりましたが、古来の制字の仕組みが見えなくなり、形と意味と のつながりが分かりにくくなっています。「地球語」で単位となる表意字母の形を決めるにあ たっては、漢字の教訓を参考に、次の点に考慮し、全く新たな仕組みを準備すべきです。

単純明解、伝えやすい形
合成した文字が多様なイメージを構成できるよう、素材としてのバラエティーに富む
複数を組み合わせやすく、組み合わせても互いに元の形を見失わない

漢字では部首を5つも6つも合わせて組むと、形が複雑になり過ぎます。そこで、合成した文 字を更に組み合わす「熟語」で造語を楽にしました。百年前、欧米の学問や文化が怒濤のよう に押し寄せてきたとき、日本には欧米語のわかる者はほとんどいませんでした。それにもかか わらず、日本人がたちまちこれを吸収できたのは、新しい欧米文化を掬える器が漢字のシステ ムの中に備えられていて、「経済」「哲学」などと次々に新たな熟語を組んで馴染んだ文字で 表し、一般化できたからです。これらの熟語は、数多く中国へ逆輸出もされました。合成され た表意文字を連ねて複雑な概念を示す熟語は、将来も有効でしょう。

しかし、漢字の熟語では、 意味の受け取りかたが慣習によらねば分からない場合があります。たとえば「食肉」と「肉食」 の意味の違いは、日本語では慣習的に決まっていて、語順に一定のルールがあって誰でも自由 に熟語を造れるというものではありません。中国語の熟語内でも、場合により目的語に当たる 文字が前に置かれたり、後ろの配置になったりします。熟語もまた文字のように、配置を一々 記憶して用いなければなりません。意味を合成したり組み合わす場合に、意味の受け取り かたの秩序が一定していれば、そのルールに則って自由に熟語的な表現を創作しても、他人に も内容が伝わるはずです。「地球語」表意文字には、漢字から多くの知恵を借りますが、 文字の形、ルールともに新たな工夫を要します。

表音文字

ヒエログリフから

エジプトのヒエログリフから出発した古代セム語の表音文字は、独立した母音がことばの構成 要素になかったため、母音が未分化のままの「子音文字」でした。これがフェニキア航海民に よりさまざまな言語域に運ばれて、各地の言語に応じた表音文字に改造されました。

旧約聖書 は、子音文字の古典ヘブライ文字で永く書き綴られたため、みだりに口にすることを禁じられ ていた絶対神の神名が「エホバ」か、「ヤハヴェ」と読むのか、後世では確かな発音の仕方が 分からなくなってしまいました。現代のヘブライ文字、アラビア系文字、エチオピア文字など では、子音に続けて発声する母音は独立させずに母音表示記号として子音文字に付属させ、組 み合わせて示す音節文字を単位としています。インド系の言語も音節が単位となって構成され るので、基本的には音節を綴る文字です。インド系の子音字母はア音を付属する音節を表し、 それ以外の母音を伴う音節は、母音を変化させる記号を加えて示す特殊な構造です。

文字の単位数が最も少なく済むよう合理化されたのは、音素文字「アルファベット」です。原 始では、ウガリット楔形文字に既に母音を子音と区別して記されましたが、筆記文字ではギリ シャ文字が最初です。ギリシャ語では、フェニキア語で使わない母音がことばの重要素であり、 子音を連続させて発する場合もあるので、フェニキアの子音文字を子音の音素のみを示す目的 で借用し、ギリシャ語では用いない音韻の文字を母音専用の表現に当てました。音素を発音順 に一列に並べてことばを伝えるアルファベットの基礎がこのようにして定まり、これがヨーロ ッパ各地に伝わりながら改造を重ねられました。現代では、ラテン文字(ローマ字)、ロシア 文字の2つの流れがアルファベットの主流となり、全世界を巻き込もうとしています。

アルファベット

アルファベットでは、語と語のあいだに隙間を開け、1語内の音素を発音順に並べますが、同 じ大きさの記号が平坦に続いていては区切りが目立ちません。そこで文頭や固有名詞、重要な 内容などを目立たせて文を見やすくするため、同音に対して大文字、小文字の2通りを使い分 ける工夫が加えられました。2通りの26のアルファベットを横一列に並べていくだけのシン プルな英語のシステムは、活字、タイプライターやキーボードを使う文字の機械化を一気に進 め、印刷技術の出発でははるかに早かった東洋を、文字の違いで追い抜きました。コンピュー タを使う日本人には、英文に比べて和文タイプがいかに面倒か、身に染みています。字母 数を少なくする合理化が大切なことをアルファベットは教えています。

そこで、アルファベットこそが最後に残る文字だと一元的に捉え、ローマ字化に走るのは誤り だと著者は考えます。理由は次です。
ことばが共通でない社会へは、意味を伝えることがまったくできない
あえて通じるようにするには、「英語」などの特定の言語、特定の文化を強制的に共通に教 育するほかありません。時間空間を越えようとする伝達には、致命的な欠陥です。

表音機能の不完全性

ローマ字は、最初にできたときには1字1音で合理的だったのが、民族の接触によってことば が激しく変化したためラテン語でさえ、文字の読み方が複数あって一定しません。同じ母音文 字が、時により、地域によって、多様に発音されます。英語には母音文字は5個しかありませ んが、多くの言語を吸収した結果、母音の発音は15種、重母音を含めると29種も区別して 使っています。英語が母語の人にとっても、スペルのミスなく文章を綴るのは楽ではありませ ん。

一口にローマ字といっても言語によって基本の音素の使用数が異なるので、フィンランド語で は21しか文字を使いませんが、ハンガリーやポーランドでは、補助記号を加えたり、子音二 字を組んで1子音を表すなどの工夫をしながら38の音素文字を要しています。自国語で区別 されない音声、つまり自国の文字では表現できない音声には、それを聞き分ける耳が育ちませ ん。日本語には、rとl,bとvなどの区別が無いので、耳だけでそれらのどちらかを聞き分 けるのは、日本語だけで育った人には困難です。日本語のラ行の子音は、ふつう〔r〕でも〔l〕 でもありませんが、他に示しようが無いのでラテン文字(ローマ字)でrと書きます。これを アメリカ人が読んで使うと、日本人に通じません。逆に、日本人が英語を和風ローマ字読みに すると、もっと通じません。

このように、国際的には基本音素の発音器官の働かせかたのずれ が限りなくあるのを、とりあえず既成の数少ない文字に「無理をして」合わせて、各言語毎に 読みかたを修正しながら使っているのがアルファベットの現状です。文字の形は同じでも、言 語ごとに別の表音ルールに従わないと正しく読めないのが、ラテン文字やロシア文字です。伝 統的な表音文字を使う限り、人々の耳は、偏った音声の聞き分け能力しか持つことができませ ん。

・国際音声字母

国際交流が盛んになりはじめた19世紀の末以来、言語ごとに勝手なルールを加えるのでなく、 発音の仕方を科学的に分析して、国際的に共通の記号を使って音声をより正しく再現できるよ うに図る「国際音声字母」の開発が進められてきました。ラテン文字だけでは足りないので、 ギリシャ文字、大文字、複合文字、逆さ文字、変形を加えた文字も入れ、さらにそれらに補助 記号を加えて、世界中の言語の中で区別される音声が表記可能になるよう仕組まれました。こ れは言語の専門家の間で、方言の記録や音声学や音韻学的な情報交換のために大いに役だって います。しかし、百数十もの記号があり、いかにも専門的な記号で、ラテン文字やギリシャ文 字に慣れない者には文字の形をおぼえるだけでも大変です。発音の仕方が書けるからといって、 これまで文盲だった民がこれを自分達のことばを記録する文字として使うのには、難しすぎま す。

伝統を引き継ぎながら自然発達したことばや文字の中では、不合理な形が含まれていても当然 ですが、国際音声字母は科学的、合理的に決められる記号です。もっと共通に記憶しやすく、 数少なく整理を進める工夫を加えてはいかがでしょうか。人類の発音器官のシステムは同じで す。耳に慣れて聞き分けやすい音韻の種類に民族差があるのです。耳に聞こえる音を区別する 音声記号では、聞かないと捉えられませんが、発音の仕方を直接示す「発音記号」で多様な発 音法の区別が示されるときには、違いを自分で試してみようという気になります。そして普段 使ったことのない音声への興味が引かれます。

言語学者にしか分からない記号ではなく、 発音器官との対応が分かりやすい字母を提供すれば、未文明の民族も子供も文字をおもち ゃにしながら声をさまざまに出して楽しむようになるのではないでしょうか。将来の国際音声 字母(つまり「地球語表音文字」)は、現在どこかの伝統言語として使用されている音か どうかにこだわりなく、人類に可能な音声をあらゆる角度から捉えられる よう仕組むべき です。言語学のみでなく、音声術、声楽、医学などさまざまに役立てられ、多様な発声の違い を聞き分けられる「耳」が一般的に育つ仕組みにするのが望ましいと考えます。

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