Special for This Month (Feb. '04) 「さよなら Myron」


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この1月18日、癌と闘っていた義父Myron McFarlandが80歳で他界した。
典型的なアメリカ良市民だった彼に照らしてわたしが学んだことは大きい。
また、人の死にぎわに立ち会うのも、わたしには初めての体験、命というものの不思議さと尊さが深く身にしみた。
今月のこのページの予定を変更して、Myronへの追悼をこめ、
彼とのリレーションの中から地球語に反映したエピソードについて記すことをお許しいただきたい。



{ life, tangible thing}:
body of living creature (身体)
{ heart, to change the meaning in this case}:
spirit (魂)



その1) 父性愛のアメリカ

 晩年のMyronは、もしもう一度人生を選べるなら、若いころやったフォレスト・レンジャーとして森の暮らしをしたかったと言っていたが、実際には、WW2の兵役以後、祖父以来の農事業を継ぎ、自分のビジネスの道も開いて地域社会の教育・文化にも貢献し、外国旅行や釣もたのしむ多忙で幸せな人生を歩いた。

 相手に応じて的をいた質問をしながら耳を傾け、それぞれの道を自分で見つけるよう静かに促す彼は、つねに5人の子どもや孫たちの支えだった。冷静な実行力とユーモアを忘れない人柄がだれからも慕われたのが、大勢の弔問客の話からも感じられた。16年前、彼の息子の一人は、病み上がりで年上、しかも英語もろくにわからない外国人をワイフに選んだ。それがわたしだが、Myron夫妻は、息子を信頼して笑顔で迎えた。偏見や差別を自分に許さない、アメリカン・デモクラシーの理想を生きる人とわたしの目には映った。

 いつも笑みを絶やさないこの彼に、たった一度青筋を立てさせたことがある。もう10年近く前、たまたまエノラゲイの話が出たとき、「原爆を落とす必要は、なかったのでは?」と、わたしが言ったときだ。マッカーサーもアイゼンハワーも、日本の戦闘燃料はすでに尽きたと知り、原爆は無用と報告したと読んだが・・と、つづけようとして、彼の表情の変化に、思わず口をつぐんだ。「落とさなかったら、日本人は最後の一人まで戦いつづけたろう。アメリカ兵ももっと何万も死んだろう。原爆は日米人を救い、帝国軍人支配から日本国民を助け、デモクラシーを与えたんだ」と、彼は怒りを抑えながら断言した。

 立場とインプットされた情報によって、考えかたがこうも違い、それが感情をまとうときには議論さえできないことに、わたしは衝撃を受けた。WW2は彼らの青春時代と重なる。正義と愛国心から、命がけで戦への義務にのぞみ、原爆がなければ日本内地で命を落としたかもしれないと思う彼にしてみれば、「後世の覇権と国益のために原爆という大量殺戮が行われたの?」に等しい問いは、彼の青春に投げつけられた泥だったのだろう。

 彼が従軍した部隊の標語は、Iron On The Target(的を撃て)だった。彼は、後のビジネス上でも、これを掲げて自由競争の世界を生きぬいた。彼を励ましたこの標語はしかし、わたしにはこわい。WW2で、その的に含まれていたわたしの実父は、太平洋の藻くずとなり、わたしは一生「父を知らない子ども」を生きているのだから。

 男らしく、優しく、頼もしい義父(わたしとってはアメリカの象徴)が、親の仇でもあるという構図のなかで、わたしの道について考えた。個人的には争いなどしそうもない者同士が、国家の正義の下で殺しあうのが戦争だ。敗者の痛みへの勝者の想像力が足りないからといって、うらみ、ねたみたくはない。勝った側の兵もまた命をかけて生き延びたのだ。勝者の過去の不当性を個人に責めてみても、不快や失意を与え、互いの未来が楽しくなくなるだけだろう。

戦争の真っ只中に生まれ出た苦しみを知る者として、そんな歴史は繰り返させたくない。唱えられる正義がほんとうに地球世界のためかどうかを見張ることが大切だろう。正義は、情報に壁を建てて流れをつくり、また、一方だけに光を当てて美を演出してつくられる。

 先に光を見て、直すぐまい進する文化は男らしく力強い。日本で地域ごとにみなで輪を作って、手を引き合って内向いている間に、アメリカ人は外へ外へと的を絞っては挑戦した。伝統的な日本人は外に向かって心を閉ざす傾向があるが、彼らは、前ばかり照らして後ろに心を開かない。そんな方向性の傾向の根は、非常に深く下りているのかもしれない。

 McFarland家の祖先は、ケルト人らしい。スコットランドはロホ・ローモンドの石城を失い、アイルランドに移動したが、きびしい自然と飢きんを逃れてアメリカに渡った。Myronの祖父は、東部で生まれ教育を積み、いろんな仕事をしながらカリフォルニア・セントラルバレーの原野を手に入れ、畑や町を開拓した。Myronは、そこから西海岸沿いの街に移動、暮らしのサイズに応じて、家も何度か取り替えた。他のアメリカのマジョリティーの祖先も、大なり小なりこんな歴史試練をくぐって、今の豊かさを勝ち取ってきた。

 アメリカには伝統がないと、欧州人や日本人はいうが、理想を求めて開拓・変化していく無形の姿勢こそが、彼らがアメリカ大陸に渡る前から培ってきた伝統だ。目に見える形ではなく、信仰や正義や道理に支えられ、常に前進する態度が脈々と受け継がれている。そしてMyron自身、そんな道の行き着く先に楽観はしていないと言っていた。

 地球社会は、いろんな方向に向く集団のカオスだ。対立する複雑さを抱えたまま、互いが素敵に感じられるリレーションが築けないものだろうか。父性的なアメリカ文化があるなら、彼らとの矛盾を呑みこみ、論理を超えて素敵につなぐ、母性的なセンスがいるだろう。アメリカはウーマン・リブも先導したが、社会はますます男性化している。女性が男性のように対等化する女性解放ではなく、今必要なのは、矛盾を呑み、論理を超えて許す母性的な心の解放ではないだろうか。お金や数字の単純なものさしで計り競う男性的社会を、ゆたかな心で包んで、生きる自然な喜びを再び開く、たとえば料理や掃除も、時間や労働として捉えるだけでなく、無限に好奇心と創造を呼ぶ課題と感じる心を開く、他の立場にも立って全体をイメージする、そんな母性解放があってこそ地球社会が丸くつながるのではないか。解放の担い手は女性にかぎらない。すべての個人のなかに沈められてしまっている母性を解放するのだ。

 地球語の開始時には、理性語として論理を通すことにやっきになったが、最近は、自然に感じ取ることに焦点を移した。書物からの知識だけでなく、Myronの生きた父性に照らして学びながら、上記のように考えを進めた。


その2) 死への道
 Myronは、癌治療中もものともせずに、昨9月にはアラスカ旅行までやってのけたが、暮れに子らに車椅子を押されて海岸を散歩したのが大自然の見おさめとなった。今年に入って末期とわかり、ホスピスの世話になりながら自宅で自ら食を断ち、死の準備に入った。ついに立てなくなったと知らせをうけ、彼の子どもたちとその伴侶がそれぞれ遠路集合した。

 わたしたちが駆けつけたとき、Myronは坊主になった頭を帽子で包み、やせて目が落ち窪んでいたが、意外に顔色はよく、室温を上げたベッドにTシャツ1枚とシーツだけで横たわっていた。にこにことハッグに応じ、「頬がピンクでかわいいよ」とわたしがいうと、「あんたもかわいい」と、すかさず言い返すウィットも健在。義母が、ホスピス発行の、死への道についての説明書を読むようにと、みなに回した。延命の処置は一切しないで、やすらかな自然死に招くのがホスピスの仕事だ。人にもよるらしいが、これを参照すればMyronは、まだ1週間は大丈夫のように思われた。

夫が「最近夢を見る?」と尋ねると、義母が「許せ」とわたしにウィンクしてからWW2時代の用語を使い、「またジャップを殺した悪夢を見たんだって。」 わたしは知らなかったが、幸せなMyronにも60年間つきまとった、家族周知の悪夢があったらしい。Myronは語りなおした。「夜フィリピンの塹壕の中でライフルに弾を込めてると、上から銃剣が襲ってきた。日本兵のそれは槍のように長いんだ。自分のはナイフみたいで、斬りあいでは勝てない。それで腰の拳銃を抜いて撃ったんだよ・・・」きちんと日本兵と言い直していた。

夫は、あわてて話題をこども時代のエピソードに切りかえた。語り部としても定評のあったMyronは、休み休み昔を語った。口が痛くて話しにくいらしい。義姉が細かな氷を口に含ませることを思いつき、義弟が氷掻き器を買ってきて実行すると、Myronは気に入った。日本ではこんな場はしめっぽくなりがちだが、この家族は父の眠る横で、思い出話をしてはみんなで笑いこけた。

 翌朝、なんとMyronは新聞をひろげて見ている。「めがねなしで読めるの?」と尋ねると「ん、読めるよ」と、いたずらっぽく笑う。新聞を読む気があるなら二週間もOKかも・・うかつにも、わたしはそう思った。今思えば、かつて毎朝子どもたちが騒ぐ中で読んだ習慣のふりだったのだ。わたしは、しばしば 「森に教えてもらったやり方」で立ちながら、両手に彼の足をはさんで大地の気を彼の土踏まずに送っていた。そうするとき、彼の体温や脈が感じられた。瀕死の病人にしては、脈も落ちついている。家族は、しばらく交代で付き添うことにした。

 求めに応じて彼の口にかき氷を小匙1/3ずつふくませながら、わたしはようやく思い出した。去年わたし自身が高熱が続いて瀕死の状態だったとき、唾液がまったくなく、水を口にふくまなければ話せなかったと。「氷」と、声を出して頼むだけでもたいへんなのだ。そこで急きょ「氷お願い」の手話をつくった。地球語手話を略して、胸の上の手の形を少し変えるだけにして。「こうやると、氷が飛んでくるからね。」Myronは微笑んだ。

 昼過ぎ、彼の30年来の釣友だちが、かつての釣旅の写真をもって見舞いにきた。モルフィネで痛みを抑え、特別のクリームを口に自分で塗り、ときどきわたしから氷をもらいながら、写真の思い出話に応じた。途中、眠ったのかなと思うほど途切れることがあり、ろれつも昨日より不確かで、わたしには英語が聞き取れないことも多くなったが、きちんと話はつづいた。その後、看護助手が来て、彼の身体をぬぐい、下着を換え、床ずれを防ぐために向きを変えた。

 そろそろ休みたいだろうと、離れようとすると、Myronは、また氷をほしがった。手話は忘れて、声を出して頼んだ。習慣化しないと働きにくい言語の類は、せめてもう少し早めに使いはじめるべきだった。彼は、餌を待つ小鳥のように口をあけて、3回も氷のおかわりをした。それからわたしに言った。「ありがとう。あんたは、とてもナイスだったよ。」 わたしもすかさず言いたかった、「お義父さんも、とてもナイスよ」と。でも、涙がこぼれそうで声にならなかった。「親切」とか「やさしい」ではなくて、1)のような話はなにもしなかったのに、「ナイス」(素敵)ということばを選んでくれたことが、あまりにうれしくて。その後、彼は苦しそうに咳をした。わたしは背中をさすった。背中がそれを気に入るふうなので、寝息を立てるまでそうしていた。それが、彼のこの世とのコミュニケーションの最後だとは、想ってもみなかった。

 夜をホテルで過ごして、18日(日曜)まだ暗いうちにもどってみると、Myronは寝返りさせても眠ったままだという。また彼の足を手のひらで包んでみると、熱が上がり、脈もはやい。呼吸数が減り、顔のピンクが失せていた。夜が明けてからホスピスの看護婦が来て、口の洗浄や寝返りのさせ方を教え、あとどれだけ生きるかはわからないが、返答がなくても聞こえてるかもしれないよと言った。さすがにことば文化の英語社会、そう聞くと、みんな次々眠ったままの父に向かって、どんなに自分が彼を愛しているか語り掛けた。

 昨夜は2秒おきだったMyronの呼吸が少しずつ乱れて、昼前には6〜7秒あくことがあり、手の指先が少し紫になりはじめた。苦しそうではないが、酸素不足は明らか。わたしは色の変った手を静かにさすっていた。すると彼は、あうあうと、声を立てずに口を動かした。さすりつづけると、3回動かした。五十数年連れ添った夫人と家族みんなに、「ありがとう、お先へ」と言おうとしていたのかもしれない。

 みんなが交代で外食しなくていいように、わたしはキチンのありあわせでお好み焼きをつくりに掛かかった。他のみなはにぎやかにMyronの寝返りをさせていたが、急にわたしも呼ばれた。わたしのやり方で脈を計ってよという。手をふいてMyronの足を包んだ。温かいが、脈がない!口を見ると、息もしていない!12時30分。わたしは信じられない気持ちで、手をそのままにした。足は刻々と冷えていく。だれかが開いている口を閉じようとしたが、また自然に開いた。

 先ほどまでと同じ身体なのに、息をしているかいないかでまったく様相が変った!皮膚の温度が室温に近づくにつれ、命をたたえていたもののようではなくなり、和ろうそくのような黄みがかった深みのある鈍い色の天上の素材で精巧に作られた彫像のように変化した。血液がまだ中にあるはずなのに、まったくそれが感じられない。口は開いたままだが、あらゆる感情や考えから解き放たれた、この世のものとは思えないやすやかな表情。他の家族が涙して別れを告げるあいだも、わたしは足元から、死体の美しさに呆けたようにみとれた。

 赤ん坊が生まれたときには、意外に醜い赤い塊から、息をするたびに刻々と命を感じさせる、育とうとする力がみなぎる形へと変貌した。その不思議さと感動の中で、一心に見つめつづけたものだったが、今は亡骸を見つめて、その神聖さにうたれつづけた。命を生かしていた魂を永遠へと送り返すための表情なのかもしれない。どんな人生を送った人も、死によってこんなふうに浄化されるのだろうか。安心感のようなものとともに、日常の小さな事件に喜怒哀楽する命をもつ現し身へのいとしさもこみ上げた。

しかし、ここの文化は、日本のように亡骸と一夜を過ごさせてはくれなかった。ホスピスの世話になっているので検死もなく、たちまち葬儀屋が亡骸をつれ去った。腐らないよう加工して顔の肉付けや化粧をして葬儀までもたせるためだ。死と対面の時間があまりにも少ない。家族の大半も、Myronを死体で思いだしたくなくて見送りもしなかった。

ネガティブなものは見ない文化、これもMyron、あなたが家族に伝え残した結果ですね。でも、自然死はネガティブ?もしあなたが本当にポジティブなら、どうしてなにかをネガティブとみなすのですか?空っぽになった部屋の窓の外には青空がひろがっていた。Good Bye Dad、これからは、話したいとき、あなたはいつもそこにいる・・
Written by Yoshiko McFarland (Feb. 1st, '04)

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